ここで我々が扱おうとしているのは、英語の8品詞のうちのひとつである〈名詞〉と、品詞でいうならば〈形容詞〉の一種である〈冠詞〉だ。
なぜ、品詞である〈名詞〉と、品詞の下位分類にすぎない〈冠詞〉を同列に扱わなければならないのだろうか?
もちろん、文法書によっては、10品詞説をとっているものもあり、そこではたいてい〈冠詞〉と〈助動詞〉が独立して品詞扱いされている。しかし我々は、じゅうらいの8品詞説にのっとり、〈冠詞〉を〈形容詞〉の一種として扱うことにする。
〈冠詞〉が形容詞の一種だとして、それでもやはり、「ある種独特の」機能を果たしていると言わなければならない(だからこそ10品詞説が唱えられるようになったのだ)。
英語の基本的ルール――このことを知らなければ、外国語としての英語を学習することはおよそ不可能になるような基本原則――のひとつに、「修飾関係」がある。それは
という修飾の関係だ。〈形容詞〉と〈副詞〉のそれぞれの詳しい解説は別章に譲るとして、ここでは〈冠詞〉が属する〈形容詞〉について考えてみよう。
〈形容詞〉は〈名詞〉を修飾する。これに例外はない。逆に言えば、「〈名詞〉を修飾しているならばそれは〈形容詞〉だ」というのも真である。ときどき、〈名詞〉が〈名詞〉を修飾しているように見えるばあいがあるが(his life storyというときのlife、a car parkというときのcarなど)、これは文法書(文法学者)によって「名詞の形容詞的用法」とか「複合名詞(car parkで1語)」とか、様々な説明がなされる。いずれにしても、ここで問題にしたいこと(冠詞)とは関係がない。
〈形容詞〉の修飾のしかたには、2種類あった。〈限定用法〉と〈叙述用法〉である。学習者によっては、〈分詞〉の〈限定用法〉と〈叙述用法〉を先に学んでいるかもしれない。
いずれのばあいも、redという〈形容詞〉はcarという〈名詞〉を修飾しているが、〈限定用法〉が〈名詞〉の意味を直接的に限定(=制限)するように修飾しているのに対して、〈叙述用法〉では補語として使われることで〈名詞〉の成分を説明している。
直観的にわかるように、〈冠詞〉には〈限定用法〉しかない。〈叙述用法〉として使われる〈冠詞〉は想像できない(This is "the".〔これはtheです〕の"the"は〈冠詞〉ではなく〈名詞〉だ)。〈形容詞〉には:
があるが、〈冠詞〉はこのうち「〈限定用法〉のみの〈形容詞〉」に分類される。
〈限定用法〉について、もう一度見てみよう:
このとき、〈形容詞〉redは、〈名詞〉carの意味の可能性を制限している。たんにThis is a car.ということができなかったのはなぜだろうか。話者が、「青でも黄色でも黒でも白でもなく、赤であるところの」という意味を込めたいからだ。逆に言えば、「何色であろうが、これが車だ」ということが話者の述べたいことなのであれば、redは必要のない単語だということになる。あるいは、〈関係代名詞〉の〈非制限用法〉を使ってThis is a car, which is red.と述べてもよいことになる。
その車が、何色であるのか、様々な可能性がある。青だったかもしれないし、黄色だったかもしれないし、黒だったかもしれない。redという〈形容詞〉が行っているのは、他の可能性を排除して「赤」という可能性に「意味」を狭める、という能動的な行為である(言葉が「行為する」という言い方に、慣れないかもしれないが、この文章ではこの先、こういう言い方をよくしていくことになるので、徐々に慣れていって欲しい)。
さて、では〈限定用法〉であるところの〈冠詞〉は、どのような「意味の制限」をしているのだろうか。このことを理解するには、たいていの文法書に書いてある「〈名詞〉に〈冠詞〉をつける」という言い方から脱却しなければならない。
〈冠詞〉とはarticlesの翻訳語だが、けっして「冠」のような装飾品ではない。「冠」をかぶるのは王様かもしれないし乞食かもしれない、という意味で、「冠」は交換可能な「飾り」である。乞食がたまたま王冠をかぶったからといって、すぐにその乞食が王様として認められるわけではない。それに対し、〈冠詞〉はそうはいかない。ある〈冠詞〉を〈名詞〉を述べる前に述べてしまったら、もう〈名詞〉の身分は決定されてしまう。
「〈名詞〉に〈冠詞〉をつける」のではなく、「〈冠詞〉が〈名詞〉の意味を規定する」という考え方については第3節で詳しく述べることになる。
例をあげれば:
のような文の意味の違いが有名である(『日本人の英語』[10-11])。
例文1が「昨晩、裏庭で(バーベキューパーティを開いて)鶏肉を食べた。」という穏当な意味になるのに対して、例文2は「昨晩、裏庭で(生きた)鶏を(つかまえて、そのままかぶりつき)まるごと1羽食べきってしまった。」という意味になる。
ところが、このような違いはつねに生じるわけではなく、たいてい後ろにくる〈名詞〉によって生じる違いである。たとえば:
これはどちらもたいして意味の違いがない。では、このような「違い」を生み出す〈名詞〉の正体とは一体どのようなものなのだろうか。
たいていの文法書・英文法教科書において、〈名詞〉の項目は、「名詞とは何か」という定義からはじまる。その定義は、たいてい次のようなものだ:「名詞とは、物や事や人を表わす名前である」。
「物」「事」「人」「名前」はすべて〈名詞〉である。これでは、〈名詞〉とは何かをまったく知らない誰かに、〈名詞〉を使って〈名詞〉とは何かを説明しようとしていることになってしまう。しかし、このように説明する以外にないだろう。説明を受ける側は、つまりあなたは、〈名詞〉とは何かを、すでに知っている。なぜなら、ある言語で書かれたり話されたりしたときの「文」(sentence)を、あなたが理解可能なとき、あなたはその言語における〈名詞〉の働きを、暗黙的にであれ知っているはずだからだ。
言語の起源がどこに求められるのかは、議論の余地がある(品詞は未分化だったはずだ)。むろん、言語の起源は「海だ!」を意味する名詞的な働きをする何かかもしれない、というのは有力な説のひとつだ。だが、「走れ!」を意味する動詞的な何かかもしれないし、「好きだ!」を意味する形容動詞的な何かかもしれない。しかし「文」(sentence)を構成するぐらい複雑な言語使用を行うならば、「天敵が近づいているから、我々は走って逃げるべきだ」だとか、「私はあなたに好意を持っており、あなたにも私への好意を持って欲しいと感じている」だとかいったように、〈名詞〉を使って、伝達したい「意味を成し遂げ」なくてはならないことになる。
〈名詞〉に限らないことではあるが、ある言語における〈品詞〉を知るということは、「その言語を使って何事かを為す」ことができる、ということとほとんど等価である。以下、〈名詞〉と〈冠詞〉について、文法的な説明を行っていくが、すでに(辞書的な)意味を知っている〈名詞〉に関して、どのように使えば、何を為したことになるのか、という「事例」の集積にしかならないことを断っておく(だから、単語の辞書的な意味はすでに知っているというのが前提条件だ)。そして英語の学習において、何事かを知る、ということは、事例を身につけるということ以外ではありえない、ということを念頭に置いておいて欲しい。
次節から、まず〈名詞〉に触れる。ただし、そのなかで、〈冠詞〉の使用方法にも随所で触れることになるし、〈名詞〉についてのひと通りの知識があることを前提にして、〈冠詞〉の解説にうつるため、〈冠詞〉の章に飛ぶ前に、〈名詞〉について書かれた部分をひと通り読んで欲しい。
次節に進む前に、我々の「英文法を作る」方針を決めておこう。まず、〈名詞〉にかんする「学校英語による説明」をやっつけるべき対象と見定める。具体的には、名詞の5分類が学校英語の説明だ。これは日本人が外国語としての英語を学習するうえで、役に立つ部分もあるとはいえ、むしろデメリットも大きいというのが我々の立場だ。
学校英語による〈名詞〉の5分類とはこうだ:
この分類は、意味による分類であることに注意して欲しい。英語の学習上、〈名詞〉の意味を知ることはそれなりに有益だから、この分類もその意味においては有益だ。学校英語のまずいところは、この分類を文法的分類に無理やり重ねあわせてしまうところだ。
ここで我々が文法的分類と呼ぶのは、(1)〈固有名詞なのか一般名詞なのか〉という区別と、(2)〈可算名詞なのか不可算名詞なのか〉という区別、これのみである。